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【佐藤 栄作】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:佐藤栄作の「知」の掬い上げ

今回は有名な「佐藤 栄作」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「佐藤 栄作」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

佐藤 栄作とは

佐藤 榮作(さとう えいさく、1901年〈明治34年〉3月27日 - 1975年〈昭和50年〉6月3日)は、日本の鉄道官僚、政治家。氏名表記は略字の「栄」が使われることが多い。

「政界の団十郎」「早耳の栄作」の異名を持ち、内閣総理大臣として日韓基本条約批准、非核三原則提唱、沖縄返還をなし遂げる。2,798日の連続在任記録を持ち、「人事の佐藤」と評された(連続在任記録及び戦後最長在任記録は大甥の安倍晋三が更新した)。1974年にノーベル平和賞を受賞した。2020年時点では日本人唯一の平和賞の受賞者である。

旧制山口中学校、旧制第五高等学校、東京帝国大学出身。運輸次官、内閣官房長官(第4代)を経て政界に転身。造船疑獄で危機に陥るも、衆議院議員(11期)、郵政大臣(第3代)、電気通信大臣(第3代)、建設大臣(第7代)、北海道開発庁長官(第4・21・22代)、大蔵大臣(第64代)、通商産業大臣(第22代)、科学技術庁長官(第12・13代)、内閣総理大臣(第61・62・63代)などを歴任した。

参考:Wikipedia

佐藤 栄作の名言集

核兵器を作らず、持たず、持ち込まず

関東大震災の時、私はちょうど大学在学中でした。私は十分に記憶がありますが、しかしお若い人には関東大震災といってもなかなかわからない。経験をした者から見ると、これはたいへんな問題です。こと、その後の東京は、人口密度も、建物も、自動車も、たいへんに膨大になっており、あらゆる面で隔世の感がある。今、過去のような大震災が起これば、たいへんな問題になるだろう。

内閣改造をするほど総理の権力は下がり、解散をするほど上がる

日本は日米安保条約を堅持し、防衛力を強化する。憲法上、軍事協力はできないが、経済協力の面で極東の安全に寄与したい

新聞記者は出ていけ

参議院を制する者は政界を制する

沖縄の返還なくして戦後は終わらない

私は偏向的な新聞は大嫌いだ。テレビカメラはどこかね。国民と直接話をしたい

沖縄が本土から分かれて20年、私たち国民は沖縄90万人の皆さんのことを片時たりとも忘れたことはありません。私は沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦争が終わっていないことをよく承知しております

政治家も初めから抽象画を描かない方がいい

栄ちゃんと呼ばれたい

最後は自分で直接、国民に語りかけたい

人間は口は一つ、耳は二つだ。まず、人の話を聞け。人間関係をうまくやるコツだ。

日本のためによかった。大変うれしい。

20世紀後半の人類は核かく時代に生きている。この核時代をいかに生きるべきかは、今日全すべての国家に共通した課題である。

祝人類月到達之偉業

人間の運命は奇妙なもので、あのとき日本郵船に入っていたら、海運不況で苦しい思いもしたろうし、戦争中には郵船の船は全部沈められたので、海の藻屑と消えたかもしれない。同じ輸送の商売でも鉄道に入ったので、仕事も順調だったし、戦争にも行かなかった。セメント会社に入ったら、大金持ちになっていたろうか

私鉄二社の無駄な競争をやめさせ、営団に一本化すべき

(日本が日米以外の国に核攻撃をされて)戦争になれば、アメリカがただちに核による報復を行うことを期待している

もし可能なら、核兵器の先行使用の放棄を話し合うため、核保有5か国が集まるよう受賞講演で提案しようと考えている

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